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水戸地方裁判所 昭和38年(レ)13号 判決 1976年3月11日

控訴人

磯崎富蔵

右訴訟代理人

増田弘

被控訴人

坂本彦市

右訴訟代理人

関順次

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人が昭和一〇年四月一日控訴人に対し本件家屋を、賃料を一カ月金一三円の約で期間を定めずに賃貸したことは、当事者間に争いがない。ところで、みぎ賃料の支払方法について、被控訴人は、毎月末日限りその月分を持参して支払う約束であつた旨主張するのに対し、控訴人は、毎年旧暦の盆と暮に被控訴人においてその時迄の分を取纒めて取立てる約束であつた旨抗争するので、この点について考えてみると、<証拠>を総合すると、前記賃料の支払時期については、当時の慣行に従い毎月末日に支払う約であり、その支払場所については、原告の有する他の貸家(賃借人久保田敏夫)の場合と同様持参払とする約であつたが、控訴人は当初から賃料の支払を遅滞し、昭和二一年末までの間に約旨に従て支払つたことは殆んどなく数カ月分を纒めて後払いするのが常であり、したがつて遅滞も数カ月に及ぶのが例であり、時に一年前後に達することもあつたが、磯浜町内有数の素封家である被控訴人はみぎのような賃料の延滞を特に責めることもなく荏苒歳月を重ねてきたが、この間、酒類の醸造販売業を営なむ被控訴人は使用人の平戸源をして酒類売掛代金の集金などの途次、便宜控訴人方に立寄らせて賃料の取立をさせたことも屡々あつたことが肯認でき、<証拠>のうち、以上の認定に牴触する部分は、前顕諸証拠に照らし信用できず、他にみぎの認定を動かしうる証拠も存在しない。

二ところで前示約定賃料については、昭和一五年一〇月一九日勅令第六七八号地代家賃統制令の施行日の前日である同月一八日までの間に、改訂した事実のないことは当事者間に争いがないから、同令第三条第一項第一号により一か月金一三円に停止されたことになる。

被控訴人は昭和二一年一月二六日控訴人との間に、賃料を昭和二〇年一〇月分に遡り一カ月金五五円に増額する旨合意したうえ、昭和二一年一〇月二四日、昭和二一年九月二七日勅令第四四三号地代家賃統制令第七条に基き、賃料をみのぎのように増額するについて茨城県知事に許可申請をなし、同日認可を受けた旨主張するので、以下この点について検討を加える。

<証拠>を総合すると、昭和二一年二月二六日双方合意の上、家賃を昭和二〇年一〇月分から一カ月金五五円に増額したこと、および被控訴人は前示地代家賃統制令第一四条同令施行規則(昭和二一年九月二八日閣令第七六号)第八条に基き、昭和二一年一〇月二四日付の茨城県知事宛家賃届書を地元大洗町役場に提出したことが肯認できるが(<排斥証拠>)、被控訴人が前示地代家賃、統制令第七条、前示施行規則第四条により、本件家賃の停止統制額である一カ月金一三円を増額するについて茨城県知事に認可の申請をなし、かつその認可を受けたとの点については、これを肯認するに足りる証拠は全く存在しない。

被控訴人はさらに、昭和二二年九月一日物価庁告示第五四二号により本件家賃の認可統制額が一カ月金一三七円五〇銭に修正されたところ、昭和二三年九月一〇日被控訴人、控訴人双方合意の上、家賃をみぎの修正された統制額に増額した旨主張するので、この点につき審究すると、本件家屋の家賃については、前叙のように一カ月金五五円に増額するにつき茨城県知事の認可を受けた形跡がないのであるから、依然その停止統制額が一カ月金一三円となつており、したがつて前示物価庁告示によつて修正された停止統制額はその2.5倍に該る一カ月金三二円五〇銭であるところ、被控訴人の主張する前示合意増額の点についてはこれを肯認するに足りる証拠は存在しない。

以上要するに、本件家屋の家賃については依然一カ月金一三円の停止統制額が存し、被控訴人はこれを超えて家賃を受領することは許されないものといわなければならない(なお、本件家屋のうち地代家賃統制令施行規則第一一条第一号にいわゆる事業用部分が十坪に満たないことは、原審における検証の結果により肯認できるから、地代家賃統制令第二三条第二項但書にいう併用住宅に該当することは明らかである。)。

三本件家屋の家賃について、控訴人が、昭和二一年二月二六日金一六九円を支払つた結果、昭和二〇年九月分迄の支払を了した旨主張するのに対し、被控訴人は、昭和二一年二月当時は同月分迄の支払を受けている旨自認するので、以下、同年三月分以降の家賃の支払について検討を加える。

控訴人が昭和二二年一月三日金七〇〇円を、昭和二三年九月一〇日金二〇〇〇円を、いずれも家賃として支払つたことは当事者間に争いがない。控訴人は、みぎの金七〇〇円は延滞家賃を含め主として家賃の前払として支払つたものであり、またみぎの金二、〇〇〇円は前家賃として支払つたものであるから、本件家屋の家賃は昭和三七年一二月分迄支払が済んでいる旨主張するので、この点につき勘考する。本件家屋の家賃については、昭和二一年二月二六日一カ月金五五円に増額する旨の合意が成立したことは前に説示したとおりである。そして<証拠>を総合すると、前述のように家賃値上げの合意が成立してから、前示金二、〇〇〇円の支払がなされるまでの間に、前記平戸源は被控訴人の代理人として、再三にわたり控訴人に対し、延滞賃料の支払を督促するとともに、本件家屋の賃料が被控訴人の有する比隣の貸家の賃料に比し安いことを説明して、賃料の増額について控訴人の同意を求めたが、控訴人に増額の意思が全くなかつたため具体的な交渉にいたらず、昭和二三年八、九月頃には一カ月金四〇〇円に値上げしたい旨申入れたこともあつたが、これに対し控訴人は当時の約定賃料一カ月金五五円の3.5倍としても金一九〇円位にしかならないなど述べて結局物別れに終つたこと、および控訴人は従前から、前に説示したように数カ月分の賃料を纒めて支払うのが例であつたが、その都度被控訴人またはその家人等が家賃通帳に未払家賃に対する充当関係を明らかにした上、これを控訴人に返戻するとともに、家賃元帳にも同様の記載をして保管していたことが肯認でき、原審における控訴人本人尋問の結果のうち、以上の認定に牴触する部分は、前顕諸証拠に照らし信用できず、他にみぎ認定を左右するに足りる証拠も存在しない。しこうして、以上の事実と弁論の全趣旨を総合すれば、控訴人が支払つた前示金七〇〇円は、昭和二一年三月分から昭和二二年二月分まで一カ月金五五円の割合による家賃と同年三月分の同額の家賃のうち金四〇円の支払に充当され、また前示金二、〇〇〇円は、同月分の家賃のうち金一五円と昭和二二年四月分から昭和二五年三月分までの前同額の家賃および同年四月分の家賃のうち金五円の支払に充当されたものであつて、以上の充当については、被控訴人、控訴人とも異存はなく、前示二回にわたる家賃支払の都度双方ともに合意していたものと認めるのが相当である。

以上のように、控訴人は、本件家屋につき統制額を超過する家賃を、昭和二五年三月分まで支払つたのであるが、何ら異議をとどめることなく任意に支払を了した以上、統制額を超過する部分が、何等の意思表示を用いず当然に、後の賃料の支払に繰越充当されるものでないことは、多言を要しないところである。

そうであるとすれば、控訴人は本件家屋の家賃につき昭和二五年四月分のうち金八円および同年五月分以降の支払をしなかつたことは明白である。

四(一) 控訴人は、本件家屋の賃料は一カ月金一三円に停止されているのであるからこの停止統制額を超えて支払つたことは、不法原因給付に該当し、しかもその不法性は貸主である被控訴人にのみ存するから、控訴人はその超過部分の返還を請求しうるものであり、したがつてこの超過部分は将来の適正家賃の支払に充当される筋合である旨主張する。しかし地代家賃統制令に違反した家賃の支払が不法原因給付に該当するものかどうかは、さような行為が当時の国民生活ならびに国民感情に照らし、反倫理的な醜悪な行為として排撃すべき程度の反社会性を有するかどうかによつて判断すべきものと解されるところ、政府の住宅政策上の見地から契約の自由に対して制約を加えた地代家賃等の統制法規に違反した行為が、みぎにいう反社会的な行為といいうるかどうかは一個の問題であり、これが肯定されたとして不法性が貸主の側だけに存するどうかも検討を要するところであるが、かりに控訴人が主張するように統制額超過家賃の返還請求権が成立したとしても、何らの意思表示も用いず当然に、将来の家賃の支払に充当されるという法理は存在しない。

(二)  つぎに控訴人は、昭和二三年九月以降逐次本件家屋を修理してきたがそのため支出した費用は約金二万円に達するところ、この必要費の償還請求権と賃料債務とは同時履行の関係に立つ旨主張するので考えてみる。

<証拠>を総合すると、控訴人は本件家屋につき、時期の点は必らずしも明らかでないが、店舗出入口の土台、店舗の板間、廊下の敷居および鴨居、縁板、二階押入の壁板等を逐次修理し、その都度幾何かの費用を支出したことが肯認できる。したがつて、控訴人は以上の修理費用につき償還請求権を有する筋合である。しかしながら、さような必要費の償還請求権は、賃借物件の維持保存に必要な費用を支出したことによつて成立するものであつて、理論上、賃貸人の修繕義務の不履行を前提とするものではないから、賃料債務と履行上の牽連関係はないものといわなければならない。したがつて、控訴人が前認定のように本件家屋の修理費用を支出したからといつて家賃の支払を拒絶しうるかぎりではない。

なお、<証拠>によれば、控訴人の前示主張には被控訴人が本件家屋の修繕義務を履行しないことを理由に賃料不払の責がない旨の主張を含むものと解せられなくもないので、以下この点につき附言する。前顕各証拠を総合すると、本件家屋は建築後年月を重ねたため、屋根の破損により雨漏りを生じ、また土台の一部が腐触したことが肯認できるが、そのために本件家屋が店舗兼住宅として使用に耐えなくなつたとか、または使用の上で著しい支障を来たしたという点については、これを肯認できる確証は存在しないし、本件家屋の賃料が前に説示したように低額に停止されている事情を合わせ考えるとき、控訴人は、修繕義務の不履行を理由に賃料全額の支払を拒否することは許されず、前示屋根ないし土台の修繕義務不履行による損害賠償または賃料減額を受けるべき限度で賃料の支払を拒むことができるものと解されるところ、みぎの屋根が破損し、または土台が腐蝕した時期が何時であるのか、その時期から前示のように控訴人自ら修繕を施こす迄の期間、この期間に控訴人の被つた具体的損害額、ならびに賃料の減額率等についてはこれを明確になしうる何等の資料も見出しえない。してみれば、控訴人の前示主張もしよせん採用のかぎりでない。

五してみると、控訴人は昭和二五年四月分以降の賃料の支払につき遅滞の責は免れないものといわなければならない。他方、被控訴人が控訴人に対し、昭和三五年一〇月一一日付書面により賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなし、同書面がその頃控訴人に到達したことは、当事者間に争いがなく、この契約解除が家賃債務の不履行を理由とするものであることは、<証拠>に照らし明らかである。そして<証拠>を総合すると、前示平戸源は被控訴人の代理人として、昭和二五年五月以降昭和三五年までの間に幾度となく殆んど毎月のように控訴人方に赴いて延滞賃料の支払を督促したのにかかわらず、単に平戸との間の家賃値上げの話合が纒まつたうえで支払うなどの理由で支払を拒否し続け、一銭一円の金員すら支払うことのないまま、実に一〇年以上の歳月を重ねたことが肯認でき、以上の認定を左右するに足りる証拠は存在しない。しかも、控訴人の従前の賃料支払状況をみると、支払を遅滞するのが寧ろ常態であり、期限までに支払うというようなことは殆んどなかつたことは、上来説示したところから明らかであつて、さような態度を重ねてきた控訴人が、さらに前認定のような態度をとり続けた以上、同人には最早賃料債務の履行につき一片の誠意すらないものと断じても過言ではあるまい。そのような控訴人の、被控訴人との間の信頼関係を裏切る態度は、本件家屋の賃貸借関係の維持、継続を不可能ならしめるものと認めるのが相当である。

六控訴人は、被控訴人の代理人平戸源が行なつた前示延滞賃料支払の催告は、いわゆる過大催告であり無効である旨主張するけれども、前説示のように賃貸借関係を継続させるに耐えない背信行為があつた場合には、民法第五四一条所定の催告を要せず賃貸借契約を将来に向つて解除することができるものと解されるから、平戸源の行なつた催告の効力を詮議するまでもなく、前示契約解除の意思表示が有効であるこというまでもない。

七控訴人は、同人の家賃支払義務につき長期にわたる履行遅滞の責を免れないとしても、これをもつて重大な背信行為とすることは当らない旨主張し、その理由として縷説するところがあるので、以下順次判断をすすめる。

(一)  控訴人は、本件家屋の賃料の支払について、従前数カ月分の延滞賃料を纒めて支払うことがあつても被控訴人が特に異議を述べることもなく経過してきた旨主張するが、被控訴人が遅滞の責を難ずることもなく経過したからといつて、本件の場合、遅滞の法的評価に異同のある筈はあるまい。また、被控訴人の本件家屋の修理義務不履行の故に、家賃値上げの問題が解決をみなかつた旨主張するが、さような事実を肯認できる証拠は存在しない。つぎに、控訴人が金二、〇〇〇円を支払つた昭和二三年九月以降昭和二五年三月までの間に、平戸源が控訴人に対し、家賃の支払を遅滞しているとしてその支払を催促したことは、上来説示した事実と<証拠>を総合して認めうるところであるが、控訴人の前示一〇年余に及ぶ家賃の延滞について、みぎに認定したような事実が誘因をなしているものと判断すべき資料は存在しない。

(二)  控訴人が、本件家屋の修理をした結果、被控訴人に対し、その費用の償還請求権を有することは前に触れたとおりであるが、その金額についてはこれを明らかになしうる資料がないのみならず、そもそも本件家屋の賃料が低額に統制されていることは、前に説示したとおりであるから、修理費用の償還請求を思いとどまるのは寧ろ自然の成行きとも考えられるのであつて、控訴人が償還請求をしなかつたからといつて、一概に、家賃の支払を延滞した責任が軽減されるものとは考えられない。

(三)  被控訴人が、酒類の醸造販売業を営なむ磯浜町内有数の素封家であり、控訴人の度重なる賃料の滞納に対しても寛大な態度で臨んできたことは前に触れたとおりであり、他方、<証拠>を総合すると、控訴人は時計商であり、当時長男忠造の教育費の支出等のため、その生活は必らずしも余裕があつたものといえないことが肯認できる。しかし以上の事実が、直ちに、控訴人の前示長期にわたる賃料不払の責を軽減する法的根拠となりうるものでないことは明らかであろう。また、控訴人は、同人と被控訴人との間には、単なる物的信頼関係にとどまらず、人的ないし身分的信頼関係で結ばれてきた旨主張するが、さような事実を肯認するに足りる証拠は存在しないし、そもそも賃貸借契約の解除に関し、さような人的ないし身分的要素を願慮することは、近代市民法の是認するところではあるまい。

八以上要するに、本件家屋につき被控訴人、控訴人間に成立した賃貸借契約は解除により終了したのであるから、控訴人は被控訴人に対し本件家屋を明渡すべき義務を負うものというべく、この義務の履行を求める被控訴人の本訴請求は理由があるから認容すべきである。

よつてみぎと結論を同じくする原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべきものとし、控訴費用の負担につき民訴法第九五条第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(石崎政男 菅原敏彦 小松平内)

物件目録<略>

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